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二人の芸術監督 岡田利規・山田和樹 往復書簡 第4信

舞台芸術部門芸術監督の岡田利規と、音楽部門芸術監督の山田和樹。
ともに世界を舞台に活躍する二人は、直接顔を合わせてじっくり語り合う機会はそうありません。
そんな二人が、日頃考えていること、芸術に寄せる思い、そして劇場の未来について語り合うために始めたのが、この往復書簡です。
そのやりとりは、舞台芸術祭「秋の隕石2026東京」で上演されるコラボレーション企画『静寂のガツンとした一撃』(2026年10月25日)の準備から始まりました。
互いへの問いかけや応答のなかには、作品創りへの視点や芸術への考え方、劇場という場に託す思いが垣間見えます。
不定期でお届けするこの往復書簡を通して、二人の対話がどのように広がっていくのか。二人が交わす言葉の往還から立ち現れる、芸術と劇場の新たな風景。
どうぞご期待ください。

第4信

岡田利規さま

こちらも大いに触発されたので、すぐにお返事書いてみます(笑)。

「コスパのよい間違い」というのは面白いですね。
けれど、ここにも核心があるように思うのです。
バーミンガムであれ、マンチェスターであれ、その時間を楽しむことが第一義なので。
今年の初めに逝去された指揮者・秋山和慶先生が書いた本のタイトルが『ところで、きょう指揮したのは?』というタイトルでした。「俺が、私が」となりやすい指揮者の職業にあって、自分は「いい音楽を聴いた。ところで、今日指揮したのは誰だっけ?」と言われるようなひっそりとした存在でありたい、という秋山先生の哲学がそこにあります。

岡田さんも映画お好きなんですね?
映画○○○の△△△演じる主人公が、という言い回しは映画ファンならではかと。
僕も映画好きなんですが、もっぱら邦画専門でして。でも、『インターステラー』観てみたくなりました。
このやり取りの番外編として、お互いにオススメの映画を紹介しあう・感想を言い合うなんていうことがあっても面白いかも知れませんね。

メトロノームを最初に楽譜に書き込んだのはベートーヴェンというのは本当で、フェイク情報ではありません。ただ、当時の開発されたばかりのメトロノームは性能が悪かったようで、つまり正確ではなかったらしく、ベートーヴェンが書き込んだ速度だと演奏不可能な箇所も相当数ありまして。ベートーヴェンとしては良かれと思って書き込んだものが、後年になっては解釈問題になっています。
面白いのは、便利だからといってその後の作曲家がみんなメトロノーム記号を書き込んだ訳ではないのです。グスタフ・マーラーなどはその作品のほとんどにメトロノームの数字の指示を書いていません。

そして、本題、核心の核心。
クロノスの概念と、カイロスの概念。こういうの、大いにそそられます。
ちょっと調べてみると、クロノスは(絶対的な)「時刻」、カイロスは(相対的な)「時間」と出てきますね。
クロノス、と聞いて、ん?ゼウスのパパ?と思って、これもちょっと調べてみたのですが、ギリシア神話に出てくるゼウスの父親であるクロノスと、この時間の神のクロノスは、発音が同じで混同されやすいが、全く別の神とあります。
でも、カイロスがギリシア神話でゼウスの末子な訳ですから、ゼウスの父がクロノスで子がカイロス、と考えると面白いなとも思いました。
ちなみに、ワオ!と思ったのは、この時間の神クロノス  Chronusからいろんな言葉が派生していて、シンクロナイズ  Synchronizeなどもその中の一つというのは嬉しい発見でした。
岡田さんの問いかけの「指揮はカイロス的か?」というのはまったく鋭い視点で、一見クロノス的な一定の拍を体現しつつも、その中にカイロス的な時間を生み出そうとしてる、とういうのはまさに!と思いました。普段はそこまで突き詰めて考えていないので、自分のやってることの一部が今初めて、明文化できたように思います。ありがとうございます!

「わたしたちは退屈を恐れています」というのは、音楽もまったく同じかと思います。
元々、音楽というのはサロン的な社交の場で、人々がお喋りしている時のBGMのようなものでした。つまり、音楽というのは今のように「静かにちゃんと聴く」ものではなかったのですね。
それで、作曲家が工夫を凝らして、そんなお喋りしてる人の気を惹こうとしたのです。つまり、曲の中にサプライズを盛り込むのです。そこからは作曲家の工夫合戦のようなもので。
そして、人々をあっと言わせる、息を呑ませるような名人芸を披露する演奏家の出現もありました。
なので、歴史上、放っておくとすぐに退屈してしまう人々にどのように音楽を聴いてもらうかというのは、作曲家と演奏家の腕の見せ所、なのですね。

そんなことを考えていましたら、重要なキーワードが出てきました。「静寂」です。
世の中、静寂を味わう時間があまりにも少なくなってきたように思います。
音楽というのは、一見音楽で成り立っているように思うのですが、音から始まる訳ではなく、静寂こそが出発点なんです。
芥川也寸志さんは ❛静寂は、音楽の基礎である❜  ❛音楽はまず静寂を美しいと認めるところから出発する❜  ❛音楽の創造とは、静寂の美に対して新たな美を目指すことの中にある❜ と言っておられました。

この話になると、よく引き合いに出される現代曲に、ジョン・ケージ作曲の『4分33秒』があります。
演奏者が4分33秒の間、何も演奏しないという作品です。
一般的な説明では、演奏者が楽音を演奏しなくても、そこには様々な雑音的なものがあって、それも音楽である。音楽とは何か?を問う作品である、といったようになるのですが、本当はもっともっと哲学的なものであったと思うのです。
それこそ、4分33秒という絶対的なクロノスの中に、演奏者が音を発さなくてもカイロスを生み出せるか、といったような。

そして、若い頃は全然そう思わなかったんですが、最近宗教的(キリスト教的)な作品を指揮していてよく思うのですが、ピアノとかピアニッシモとか音が小さくなればなるほど、神様との距離が近づいて、自分と神との1対1の会話に近づいていくのではないかと。
神は何も言葉を発さない、つまり神は静寂の中にいるのです。

演劇においても「静寂」の意味というのは大変重いような気がするのですが、いかがでしょうか?
それこそ、映画でも静寂を基調にした作品は、独特の空気が漂うように思います。
『2001年宇宙の旅』の後半部分も、ずっと静寂の中に、赤ランプだけが映っていたりして、あれだけで異様に怖かったです。

どうも、静寂にも、退屈するタイプの静寂と、意味あるタイプの静寂との2種類あるような。それとも、静寂は同一で、あくまで受け取り手の問題なのか。

そして、静寂は時間の中に存在する。

クロノスとカイロス。少なくともカイロスはギリシア神話から来ている訳ですが、どうも音楽もそうですが、いろんなものがギリシアから来ているなと感じます。
オペラの喜劇の筋が基本24時間の中で展開されるのも、元はといえばギリシア演劇から来ているのでしたっけ?
韻律に関しても。

とめどなくなってしまうので、この辺でと思います。
続きがまた楽しみです。

 

2025年11月1日
我が家は今夜、初鍋!のベルリンにて
山田和樹
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