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二人の芸術監督 岡田利規・山田和樹 往復書簡 第5信
舞台芸術部門芸術監督の岡田利規と、音楽部門芸術監督の山田和樹。
ともに世界を舞台に活躍する二人は、直接顔を合わせてじっくり語り合う機会はそうありません。
そんな二人が、日頃考えていること、芸術に寄せる思い、そして劇場の未来について語り合うために始めたのが、この往復書簡です。
ともに世界を舞台に活躍する二人は、直接顔を合わせてじっくり語り合う機会はそうありません。
そんな二人が、日頃考えていること、芸術に寄せる思い、そして劇場の未来について語り合うために始めたのが、この往復書簡です。
そのやりとりは、舞台芸術祭「秋の隕石2026東京」で上演されるコラボレーション企画『静寂のガツンとした一撃』(2026年10月25日)の準備から始まりました。
互いへの問いかけや応答のなかには、作品創りへの視点や芸術への考え方、劇場という場に託す思いが垣間見えます。
互いへの問いかけや応答のなかには、作品創りへの視点や芸術への考え方、劇場という場に託す思いが垣間見えます。
不定期でお届けするこの往復書簡を通して、二人の対話がどのように広がっていくのか。二人が交わす言葉の往還から立ち現れる、芸術と劇場の新たな風景。
どうぞご期待ください。
どうぞご期待ください。
第5信
山田和樹さま
11月のはじめに山田さんからお返事もらっていたのに、ずっと打ち返せないままもうクリスマスになってしまいました。
ぼく映画は好きです。見る数はめっきり減ってしまいましたが……。最近見た中では三宅唱監督の『旅と日々』(邦画です)がよかったです。この映画にも素敵な無音がありました。雪が森々と降り積もっている風景の映っているカットなんですけどね、そこになにも音が付いてない。無音が聞こえてくる、としか言いようのないことが起こりますよねそういうとき。
『2001年宇宙の旅』も言われてみれば確かに無音が効果的に使われた気がしますが、ぼくは音を意識しながら映画を見るということをそんなにしてきてなかったので、記憶があやふやです。それでもひとつはっきりおぼえてるのは宇宙船の外に出てた宇宙飛行士のひとりが、暴走しはじめたコンピューター・HAL9000によって自分と宇宙船を繋ぎ留めていた命綱を切られて宇宙のかなたに飛ばされていってしまうシーン、あそこが無音だったことで、あれは怖かったなー。
ぼくが前回の山田さんのお手紙からもっとも強く印象づけられたのは小さな音へのコメントです。そのお手紙を読んだ数日後に能を見に行ったのですが、そのときは、笛の音をそれが消えてゆくときにフォーカスをあてるようにして聴く、ということをやってるぼくがいました。そういうふうに音を聴くのはものすごくおもしろかった。小さな音。消えゆく音。山田さん、来年の10月にわれわれが一緒になにかやるという目下計画中のプログラムではぜひ小さな音を扱うということをやりませんか?
――という話を先日、われわれのツーショットのポートレイトの撮影があったときにしました。そのとき山田さんが言ったこともまた、ぼくにはとても面白かったのです。そしてそれはぼく自身の関心とも大いに重なるものでした。あのとき山田さんは、でもそのために聴衆が必要以上にかしこまって静まりかえってしまったり、演奏する側が聴衆に過度な静けさを要求したりするのが、好きじゃないんですよね……というようなことを言いましたよね。
静粛を求めることなしに小さな音を聴かせるコンサートをやる。会場としては劇場やホールの中でではなく、その外、たとえば東京芸術劇場のアトリウム空間で。
――そういうのどうですかね??
舞台芸術は時間芸術か、というここまでにも話題にしてきたことについて。特に演劇は、時間芸術であるという以上に物語芸術であるという自己認識のほうが勝つ(勝ってしまう)傾向がありがちじゃないかとおもってます。物語るためにはもちろん時間がかかります。でも時間を必要とする仕様の表現形式であればすなわち時間芸術であるわけではない、カイロスとしての時間がそこに現れている/露わにされているのでなければ。
物語芸術はすなわち時間芸術である、わけではない。でも、物語芸術でありかつ時間芸術でもあるような舞台芸術は可能です。というか、そういうのが見たいしつくりたい!
2025年12月25日
ドイツからから熊本に帰ってきたその日の夜M-1決勝見てたらもう正月気分になってしまった
ドイツからから熊本に帰ってきたその日の夜M-1決勝見てたらもう正月気分になってしまった
岡田利規